法華塾第一期 基本カリキュラム

第一日 第二日 第三日


10:00

11:00


午 後


夕 方



21:00
  集合・受付

開講式・オリエンテーション
  講義@  A
   お目覚めタイム
   唱題行@

  フリートーク@

   消燈

5:00


午 前


午 後

夕 方




21:00
  起床・朝勤
つづり方教室@
講義B

 お目覚めタイム

  唱題行A
フリートークA

  消燈


5:00



午 前



午 後

15:00

16:00
  起床・朝勤

  お目覚めタイム
 つづり方教室A
  講義C
法華塾に参加して(感想発表)
    閉講式
  解散

開催日 講師 講義内容
第一回
(H19・10・1〜10・3) 
 講義@  法華塾代表 田端義宏師 「宗門の人材育成はこれでいいのか?」
 講義A  NHK「こころの時代」ディレクター金光寿郎氏 「伝えるという技術」 
 講義B  立正大学教授埼玉県高應寺住職 三友健容師 「現代は仏教に何を求めるのか?」
 講義C  法華塾運営委員 野坂法行師 「人、みな美しき花あり〜仏教の生命観・人生観〜」
第二回
(H19・12・5〜12・7)
講義@ 法華塾運営委員 濱島典彦師 「現代の伝道学」
 講義A 全国仏教会顧問弁護士 愛知県蘇東教会担任  長谷川正浩師 「現代社会と仏教の役割」
講義B 国際問題アナリスト 広島県妙政寺修徒 玉木海修師 「生活の中の政治」
 講義C 法華塾運営委員 吉田尚英師 「お寺の地域学」
第三回
(H20・2・13〜2・15)
講義@ 法華塾代表  田端義宏師 「宗門運動と生命の絶対尊重」
 講義A

秋田県本澄寺住職 医 師 柴田寛彦師

「臨終を学ぶ」
講義B 武蔵野大学講師 曹洞宗僧侶   中野東禅師 禅はいかに生死を越えるか?」
 講義C 法華塾運営委員 澁澤光紀師 「私の布教実践を語る」
第四回
(H20・3・11〜3・13)
講義@

法華塾運営委員  伊藤美妙師

「本宗における女性教師の問題とは何か?」
講義A 立正大学名誉教授 東京都法立寺住職 渡邊宝陽師 「伝道教学と現代」
講義B 立正大学名誉教授 中尾 堯師 「日蓮聖人の女性への手紙」
講義C 法華塾運営委員 早崎淳晃師 「私の布教実践を語る」
唱題行@ 唱題行A 法悦           法華塾代表 田端義宏師
お目覚めタイム 再発心の場               桐谷征一師
つづり方教室@ つづり方教室A ことばの勉強会             丸山照雄師
法華塾に参加して 感想発表                 塾生
編集後記                       法華塾報編集委員




第一回 講義@ 塾生の感想
「宗門の人材育成はこれでいいのか?」

法華塾代表 田端義宏師
▼元伝道部長としての痛感したこと
▼宗門の人材育成は? 
▼「発心」させることこそ人材育成

塾生A 

私は日蓮宗の寺に生まれ、大した発心も持たずに僧侶になってしまったような気がします。お話を聞き、自分をとても恥ずかしく思い、そして発心の大切さを知りました。人を教化できるような力を持ち、社会全体に良い影響を与えられればと思います。

塾生B 

若者の育成をするに当たり、親も発心を持ち、教えて頂いた「依法不依人」を伝え広めることが使命と改めて感じました。

塾生C 

一般人にはなかなかわからない宗門内の問題点及びそれに対する改革意識が伝わってきました。また伝えることの大切さを改めて勉強させて頂きました。

第一回 講義A 塾生の感想
「伝えるという技術」

NHK「こころの時代」ディレクター金光寿郎氏
▼伝える技術より聞こうとする姿勢 
▼言葉の奥を読み取る力
▼本人の探求心こそが人に伝える伝わる技術



塾生A 

NHK「心の時代」のディレクター金光氏は一見僧侶を思わせる風貌。キリスト教・仏教について深い知見を有していることにかねてから関心があった。ご本人から有徳の人たちの言葉を聞けたことは嬉しかった。

塾生B 

金光先生が今まで聞いてきたお話のダイジェスト版を聞くことができて大変ためになった。半分程度しか理解できなかったが、残り半分も理解できるような年の取り方をしたい。


第一回 講義B 塾生の感想
「現代は仏教に何を求めるのか?」

立正大学教授埼玉県高應寺住職 
三友健容師

▼こだわらず、偏らないこと 
▼固定観念を捨てて現実を見極めること
▼普遍的真理こそが正しい教え


塾生A 

仏教の伝播を中心に各文明との関係性、仏教思想の確認など、まず仏教についての再認識をさせて頂きました。日蓮教学に固まりがちな私の発想に、もっと広い視野を持つべきだと了解させて頂きました。


塾生B
 
原理主義的生き方ができない自分を嫌だと思っていたが、少し救われた。妄信がもたらすものは大なり小なり知っているが、「時代にあった解釈」というものはどのように作っていけば良いのだろうか。自分なりにゆっくりと考えていきたい。



第一回 講義C 塾生の感想
「人、みな美しき花あり〜仏教の生命観・人生観〜」


法華塾運営委員 野坂法行師
▼二十数年間の山寺留学での子どもたち
とのふれ合いの中で 
▼生き生きとした人生を送る手助けとは?


塾生A 

実体験に基づいた仏教の生命観・人間観の講義は心の奥底に深く入ってきました。本当は眠い時間帯ですから「少しは眠ってもごめんなさい」という気持ちがありましたが、実際は話が面白く、中身が濃くて、ずっと聞き入ってしまいました。

塾生B 

子どもたちからたくさんのことが学べるということが新鮮だった。いつか私の自坊も南無道場のような場にしていけると良い。

塾生C 

仏教語を用いずに子供道場を通じて日々の生活に仏教を染み込ませている野坂師の教化活動に本物の僧侶の実践を学ばせて頂いた。いろいろな意味で学ぶ点が多かった。

第二回 講義@ 塾生の感想
「現代の伝道学」

法華塾運営委員 濱島典彦師
▼日蓮宗の現状は? 
▼他教団との交流を深めることが
仏教界全体の活性化に 
▼時代に即した伝道とは


塾生A

日蓮宗の現状について「一番本を買わない」「薄っぺらな教団」とのご指摘、そのとおりかなと思いました。この辺を改善しないとますます人材は遠のくのではないかと思います。他教団との交流を深めて、仏教界全体が協力していく必要があるのではないでしょうか。講義の内容については、教学上の諸問題などすべて大変参考になりました。


塾生B 

伝道を学問的立場から考察した講義は示唆に富み、大変参考になりました。「行学たへなば仏法はあるべからず」の御遺文どおり常に「学」の気持ちを忘れてはならないと思います。「南無妙法蓮華経」は依法不依人を顕現するとの説にはまったくの同感を覚えます。


第二回 講義A 塾生の感想
「現代社会と仏教の役割」

全国仏教会顧問弁護士 
愛知県蘇東教会担任 長谷川正浩師

▼時代に応じたものごとの理解を深める 
▼『立正安国論』を現代的に読む必要性



塾生A

「二十一世紀に合った仏教を考え、世界平和と人類の幸せを達成する方法を探し実践していく」の講義に感銘を受けました。今は、資本主義・お金主義になっています。法華経の中の心を育てる教えを広く伝えていくことによって、少しずつ心豊かな人々が増えるのではないかと講義を受けながら思いました。

塾生B 

日蓮聖人から、「問題解決の姿勢・意欲を学ぶべき」しかし、「日蓮聖人にも時代的制約から限界がある」とのご指摘、私もそう思っていました。これは決して宗祖を貶めることにはならないと思います。他の祖師にも聖人にもすべて当てはまることだと思います。


第二回 講義B 塾生の感想
「生活の中の政治」

国際問題アナリスト 
広島県妙政寺修徒 玉木海修師

▼政治は政治家のためのもの?
▼政治とは生きるために必要なアイテム=宗教

塾生A

「宗教をサイドに置いて政治を行うことは悪いことではない」とのご意見、以前戦後日本の教育に欠けているものは宗教であるとの文献を読んだことがあります。子どもたちの心がどんどん荒んできている今、先生の仰ったような感じで、政治に宗教を取り入れられれば日本も変わっていくのでは、と思いました。

塾生B 

政治とは、机上のことではなく、現場があってそれを見ることで初めて存在するということを聞き、宗教者としても、同じようにそれぞれの人に合うような布教をしていきたいです。

塾生C
政治学についての講義は、初めてで興味がありました。「弱者を作り虐げることによって統治上の矛盾を解消する手法」「権力は常に政治を都合の良いように操ってきたこと」などを聞き、改めて政治から目を離してはいけないと感じさせられました。

第二回 講義C 塾生の感想
「お寺の地域学

法華塾運営委員 吉田尚英師
▼寺町ウォーキング・池上市民大学
・万両塚クラブについて 
▼自坊での発掘調査をふまえて
▼お寺と地域との関わり方

塾生A 

企画も内容もすばらしいものでした。本門寺境内に、あのような豊かな自然が残っているのに驚きました。次回の団参のときには、檀信徒の皆さんを案内したいと思います。

塾生B 

楽しく本門寺・永寿院の散策をさせて頂きました。お寺とその周辺には宝物がいっぱい詰まっているのですね。帰りましたら我が寺の歴史を再び見直し、足場を固めていきたいと思いました。

第三回 講義@ 塾生の感想
「宗門運動と生命の絶対尊重」

法華塾代表  田端義宏師
▼生命と死との捉え方 
▼命の尊さを伝えるのは僧侶
▼死に向き合うのも僧侶 
▼僧侶の質の向上を

塾生A 

「天上天下唯我独尊」は釈尊ただ一人のことのように捉えられがちだが、天・地・空に存するものすべてが天上天下唯我独尊であることを改めて認識することができました。その教えが込められた法華経の尊さを伝えていくことが日蓮宗僧侶としての働きであることも再認識です。
塾生B 

宗門の現状が宗祖のご本意に適してない状況のなか、田端上人が宗門興隆には立正安国の精神をより多くの人に伝えるしかないとの熱い思いで話されるのに心服した。

塾生C 

「いのち」について、教義や仏教学の面から講義を頂き、「いのち」の捉え方を学んだ。僧侶として、うわべだけではない、現実の場に立った「いのち」の教えを説いていかなければならないことを痛感した。

第三回 講義A 塾生の感想
「臨終を学ぶ」

秋田県本澄寺住職 医師 柴田寛彦師
▼人間の生命誕生は、宇宙を含んでいる
▼どういう立場で臨終を捉えるのか 
▼日蓮聖人のいのちへの考え

塾生A 

非常に興味深い講義でした。「一つの角度だけでいのちを考えると必ず間違う。」そのとおりだと思いました。私は引き籠もりやニートの方々のカウンセリングを行っていますが、本日のテーマの一つでもあった「脳死」にも何か共通のものを感じました。全く反応せず一点だけを見つめてボーッとするだけの彼らの中に「生」を感じられずやり切れないときのことを思い出すとともに、私が浅く接していたことを反省しました。

塾生B 

よく準備された資料により、宇宙の誕生から今日に至る自然生物のいのちについて科学的側面から説明して下さり多元的多面的にいのちを理解することができたことはとても良かった。法話をする際もできるだけ科学的事実が仏教と重なり合う点を強調することも必要と思った。

第三回 講義B 塾生の感想
「禅はいかに生死を越えるか?」

武蔵野大学講師 曹洞宗僧侶 中野東禅師
▼死を受け入れるための「五つの自我」とは 
▼丁寧に生きることこそ死を大切に受け入れること

塾生A 
生死について医学的見地から脳死問題を含め該博な知識で話して下さり啓発されるところが多かった。テーマについての回答が「どんな状況でも一瞬を大切に生きることが生死を越えること」であることに禅宗に限らない真理を確信した。

塾生B 
大学で若い方を相手に長年講義をされている様子が窺える軽妙な語り口と博識に感嘆した。特に、師ご自身がガン体験を通じて臨床的にまとめた「五つの自我の段階」には説得力があり、今後、死に臨む人の気持ちを理解する上で参考にさせて頂きたい。

塾生C 
「禅はいかにして生死を越えるか?」の答えは「丁寧に生きること」とのこと。一瞬拍子抜けとも受け止められかねない結論ですが、よく考えると「一大事と申すは今日只今の心なり」に通じる良い答えだと思いました。

第三回 講義C 塾生の感想
「私の布教実践を語る」

法華塾運営委員 澁澤光紀師
▼自己との闘いを通しての覚り
▼「立正安国論」・「摂折論」など文献・
論文の整理方法 
▼勉強会の必要性

塾生A 

普段、関心を持ちながらなかなか読む余裕のなかったテーマを、詳細に要領よくまとめて頂き大変有り難いと思いました。摂折論や立正安国論について、私が常々素朴に変だと思っていたことが、専門家の方々の見方でもあることが分かって納得の思いです。不軽菩薩の但行礼拝のお話も大変興味深く拝聴しました。

塾生B 

人と接することが苦手であったことを克服するために舞踏(身体を動かす)により心を目覚めさせ、さらに他者との関係を覚知するに至る人生前半のお話は興味深かった。立正安国論について様々な考えがあることを知ったが、基準とするものは「義に依って語に依らざれ」の釈尊の言葉であると思う。摂折論についても、多種多様な価値観で日常の生活が営まれている今日、二者択一は正解ではなく、時機に応じて使い分けた方が良いと思った。

第四回 講義@ 塾生の感想
「本宗における女性教師の問題とは何か?」

法華塾運営委員  伊藤美妙師
▼宗門内での女性教師に対する格差とは 
▼お釈迦様も日蓮聖人も女性蔑視ではなかった
▼寺族の問題とは


塾生A 

日本史の最初の僧侶が女性であったということ、長い歴史の流れとともに女性の僧侶とどう関わってきたのかということ、また仏教背景が時代時代と深く繋がっていること、そして、その影響が男女平等を当然とされている現代でも連綿と引き継がれていること、これらの問題にどう立ち向かうか改めて考えさせられたとても意義のある講義でした。

塾生B 

寺庭婦人及び住職としての体験から得た女性の立場からの寺院経営における数々の問題の指摘は、社会的に男尊女卑の風潮がいまだに根強く残っていることを認識させてくれた。宗門全体で取り組まなければならない課題であろう。

第四回 講義A 塾生の感想
「伝道教学と現代」

立正大学名誉教授 東京都法立寺住職 
渡邊宝陽師

▼「法華経の行者」という生き方 
▼現代に伝える教学の諸問題 
▼一人一人が「今本時」の自覚を

塾生A 

宝陽先生のご講義を楽しみにして来ました。先生の率直なご意見を語って頂き、本当に心に染みました。一言一言が、解りやすく、それでいて深い内容で・・・。先生のご文章は色々な面で、私に気づきを与えて頂いています。先生の息吹きが、私の中で響きました。

塾生B 

私にとってお話を聞ける最初で最後の機会だと思い、受講させて頂きました。難しいお話と推測していたのですがとても易しく、教学的なことは理解できませんでしたが、何点か心に残る言葉がありました。

塾生C 

長年教壇に立ち、現在の宗門教学の第一人者である師から語られるお言葉はとても含蓄があり、内容も随所に重厚なものが含まれていた。若い頃のお話など、実体験に基づく親しみ易いお話もして頂き、そのお人柄とご苦労の一端を窺い知ることができた。

第四回 講義B 塾生の感想
「日蓮聖人の女性への手紙」

立正大学名誉教授 中尾 堯師
▼日蓮聖人の女性に対しての御遺文 
▼御遺文の通読の重要性
▼池上本門寺での随身体験を通しての所感

塾生A 

国府尼、千日尼宛の手紙を解読して下さったが、日蓮聖人の女性信者に対する細かい気配りと慈悲に溢れた暖かいお気持ちが伝わり、信者に接する態度を学ばせて頂いた。

塾生B 

実物から頂く感動を大切に、というお話はジーンと来ました。たとえその中の一枚でも実物を見ながら読まして頂かねばと思います。

塾生C 

日蓮聖人のお人柄、信者さんの悲しみを自分の悲しみとして深いお言葉をお送り下さっている千日尼への手紙は涙が出ました。立正安国論のレプリカを拝見できて嬉しかったです。

第四回 講義C 塾生の感想
「私の布教実践を語る」

法華塾運営委員 早崎淳晃師

▼幼稚園副園長としての体験 
▼幼児教育こそ宗教教育の要 
▼子ども(相手)の目線で考える
▼見ていくことの大切さ

塾生A

子ども(相手)の目線に立って言葉をかけたり感じたり行動したりするという考えはとても有り難かったです。今までこんなことをこんな言葉で教えて頂いたのは初めてのような気がします。少しでも意識して励みたいです。常不軽の教えを頂いた思いです。


塾生B
 
「相手の目線でものを見る」、この重要なことを日々実践されている早崎師に敬意を表します。自分の自己満足に終わっていないか、相手が欲しているものは何かという問いかけは、我々が布教の現場でいつも顧みることを忘れてはいけないものだと強く実感しました。生き生きとまた噛み砕いた言葉で布教していくお手本を見せて頂いた気がします。




唱題行

 法 悦

田端義宏師

宗教が哲学や科学と基本的に違うのは、単に頭で理解納得するのでなく、実際に「行」という行動実践を通して、主観的、内面的、そして個人的に、感覚的な部分で「感じる」という世界を持っていることではないでしょうか。たとえば「法悦」という宗教的感動や喜びは、個人的、主観的、内面的なもので、どんなに言葉を尽くしても他人には伝えにくいものです。それはちょうど甘いとか酸っぱい、熱いとか冷たいということと同じで、数値や方式では説明できない、頭で理解しようとしてもわからない境地です。実際に自分自身が体験し、感覚的に受け止めて初めてわかる、それが宗教とか信仰の世界です。

 いうまでもなく日蓮宗とは、お題目の受持を成仏の正因とする「お題目受持成仏宗」であります。そして、そのお題目を唱えるという唱題を正行とする「唱題正行宗」であります。読誦助行、唱題正行は教学を学んだ人ならだれでも知っている宗学の常識です。

 では、この宗学上の常識である受持成仏・唱題正行という教えが、実際の信仰の現場ではどのように扱われているでしょうか。

 唱題は法要儀式の中で読経より軽い単なる付け足し。悪くするとお焼香の際のBGMや時間調整のための、刺身のツマ的に扱われているのが現状ではないでしょうか。

 法華塾では、二泊三日間の講習期間中、塾生に唱題三昧の境地を体感して頂くために、湯川日淳師の創唱された唱題行を塾の基本的行法として二回実施しています。

 口ではお題目はありがたい、お題目は素晴らしいと檀信徒に説いている私たち。そのありがたい、素晴らしいという唱題三昧の法悦の境地の一分でも、まず自らが実感してみようというものです。さいわい「唱題行中に理由もなく涙がこぼれました」とか「初めてお題目に感動しました」という、多くの塾生の感想を頂いています。

      唱題行

    唱題行の行じ方

一、 礼拝(本尊拝)

二、 浄心行(身心を調和する最善の行法または健康法)

三、 正唱行(仏力、法力、信力、感応の信心行)

四、 深信行(黙座瞑目して妙益を念ずる)

五、 祈願行(平和幸福の祈りと霊界への回向)

六、 誓願行

 礼拝

感想

塾生A 
二日目の唱題行で田端先生の仰る「お風呂に入
ったような気持ちよい感覚」を感じましたが、それは、七面山の唱題行でも感じることができなかったものでした。温かな運営委員の皆様の中に身をおき、池上のお祖師様、山主様に励まされ素晴らしい三日間でした。

塾生B 
唱題は自我の殻を破り、妙法(本仏・宇宙)と一体になっていく、永遠のいのちの中へ自分が入っていく、極めて有力な手段であると再確認できた。


塾生C 
幼少時、長時間静座をしても痛くない不思議な唱題行を体験しました。今でも鮮明に記憶しています。田端代表の導師の下、その時と同様な感覚、何かに包まれている安心した気持ちで御題目を唱えられました。導く人の寛容な心が道場を包み私の心の中にまで手を差し伸べて下さったのだと思います。田端代表の導師でまたあの感動を!!


お目覚めタイム

お目覚めタイム

 再発心の場 桐谷征一師

法華塾が開設された目的とはいったい何でしょうか。それは、その人にとって塾への参加が何らかの「気づき」のきっかけとなり、

「やる気」を出させて、自己啓発の機会となれば、ということ以外にありません。宗教的には、再発心の場を提供したいということです。

「お目覚めタイム」は、そのために法華塾のオリジナルなカリキュラムとして開発されました。その基本的な技術としては、発想法として知られるKJ法を採用し、「マンダラ法会議」として毎回、日常的で大切なことでありながら、個人としてはあまり深く考えてこなかった具体的な課題をテーマとしてとりあげ、塾生の衆知を集めて問題解決に向かおうという講座です。

「マンダラ法会議」では、会議法としての一定の技術をプロセスとして体験します。参加者はまず提示されたテーマについて、問題提起のポイントを共有し、つぎに一切の立場や既成概念を排除した三百六十度からの自由発想から意見を出し合います。それを総合的全体的な観点から、一枚の模造紙上にまとめます。そこには、具体的なテーマについてあらゆる角度から衆知が集められ、共通性親和性だけでなく矛盾や対立関係をも含めて全体観がとらえられています。すなわち現実的で、具体的なマンダラを塾生自身が作成するということです。

塾生は、このマンダラをつくる過程で多くの体験と気づきを学びます。精神集中の大切さ、「三人寄れば文殊の智慧」の有効性、発想し発言することへの自信、無駄に見える異見こその貴重さ。自分ということ、自分と他人との違い、皆で協調するということ。また縁起・十界互具・一念三千、そして日蓮聖人の大曼荼羅など、仏教で専門語として用いられることの真の意味も体感します。

「お目覚めタイム」でこれまでに挑戦したテーマは次のようなものでした。

@宗教者として憲法第九条の改正をどう考えたらいいか。

Aいまの日本で「宗教教育」はいかにして可能か。

B表現は自殺か自死かーその背景を問うー。

C人と人とがつながる国民的仏教行事を考えよう。

これらのテーマについては、会議に参加した塾生の体験にとどまるだけでなく、完成したマンダラは貴重なデータとして塾生一人ひとりの手元にも保存され、今後への活用が期待されます。
感想


塾生A 

桐谷先生の講義はなんと言っても川喜田二郎の「KJ法とは何か」。とても強烈に心にとどまり、夢に見そうです。最初資料を渡されたときは、見た瞬間「難しそう!私は来るべきではなかった」と落ち込みました。ですが、いつの間にか引き込まれて、それこそ脳内が活性化されました。はっきりと頭の中でまだ整理されていませんが、自分なりに今後の活動に生かしていきたいと思います。ありがとうございました。

塾生B 

KJ法はとても新鮮な話し合いの方法だった。今まで私が経験してきた話し合いは、討論のようなものばかりだったが、KJ法ならば相反する意見も同じ土俵で考えることができる。

塾生C 

広い視野からの情報を得て、整理分類して、創造へと導く方法論(KJ法)を説明して頂き、四聖諦と同じ発想分類法、思考法で見ると知り感動しました。物事に対する思考法について、改めて教え、気づかされました。今後の私生活、仕事において活用させて頂きます。

塾生D 

KJ法ってなんだろうから始まったお目覚めタイムでしたが、私のつまらない文も捨てられること無く、きちんと分類され喜しく思いました。問題を整理していく上でとても良い方法だと思います。






つづり方教室

づり方教室 ことばの勉強会  


丸山照雄師

 
法華塾の第一期初回の講座のとき私は次のようなご挨拶をしました。

 最初からウラ話のようなことで恐縮ですが「つづり方教室」というネーミングは私の関与しないところで決められたものです。

ちょっと無理ではないかと異議を申しあげましたところ、日頃しゃべっているようなことを話せばいいという許可をいただきお引き受けしました。いろいろな対策を考えたのですが、かつてジャーナリスト専門学校という処で「現代文化論」という講座を持ったことがありました。この時も「何でもいいから」という無責任な依頼でひきうけたのですが、その時の経験を土台にしようかと思いつきました。しかし、「つづり方教室」では居ごこちが悪いので、自分を納得させるため看板を掛けかえて「ことばの勉強会」とさせていただきます。

 このネーミングは実は歴史的に意義のあるものでして、一昨年亡くなった劇作家の木下順二さんとやはり鬼籍に入られた大女優の山本安英さんのお二人が発起して、四十年以上も昔に創られた研究会の名前です。この恐れおおいような名前を「私の心の問題」としてお借りすることにいたしました。

 ついでに補足しておきますと木下順二さんは『立正安国論』と日蓮聖人書簡の一部を現代語訳されております。また山本安英さんは「五段のお守り」を肌身離さず持たれており、特に舞台に上がるときは胸にだいて演ぜられました。このことは生前どなたにも知らせることはなかったのですが、ここで私が証言しておかないと消滅してしまう事実ですので、皆様の前で初めて述べさせていただきました。

 「言葉」の存在は、人間が人間であるための根幹のものだと私は考えております。仏教がやがて三千年の歴史を踏み継いできたのは、ひとえに言葉の力によります。ややもするとこの言葉を軽んずるような仏教徒もいないわけではない。そうした今日の現実を押さえたうえで、言葉を学び、教法学習のなかの言葉について考えていきたいと思います。

 最初にこの様に申し上げましたが、この前提をさらに踏みはずして「三千世界」へと話は拡散していきそうです。日蓮聖人の教理教説の内に在るかぎり、自在な論談をお許しいただきたく思います。

つづり方教室

(講義内容)

1回 自分への手紙

2回 寺報の書き方

3回 新聞の読み方

4回 上原専禄・日蓮認識の諸問題




感想


塾生A 

先生の全てを賭けると言われただけあって熱意と迫力に満ちたお話でした。情報とは、そこに提示されていない「ない」という情報を重視すべきだというお話は特に参考になりました。新聞情報の重要さ、立正大学の抱える課題、宗教活動において大学の果たす役割は大きいことなどを教えて頂きました。

塾生B 

書くという行為の大切さを改めて実感しました。久々に自分の考えを自分の字で文章にするという作業をし、自分の思っていることを形にすることの難しさを痛感しました。これから、もっと自分の思いと表現を近づけていくために、先生の仰るとおり、色々な本を読み、毎日日記をつけていきたいと思います。

塾生C 

寺報を書くことは住職任せで来ましたが、これからは色々な案内文程度は書かせて頂くようにしたいと思います。トライすることが綴り方の上達への一番の近道だと思いますから。

塾生D 

今回は、上原専禄氏の話がメインでしたが、氏の「所与の日蓮宗をいかに主体化するか。」の「所与の」の説明が一番心に残りました。私にとっても「所与の日蓮宗」ですので、それを母体に「所与の仏教」を活性化していくのが務めだと思いました。






塾生の感想


開講式

塾生A 

正直申し上げて「いま」を理解できていない自分を発見してしまいました。毎日毎日をただ同じように過ごしている自分、ひとつの出来事、ひとつの言葉になんら魂の入っていない自分を反省した次第です。賢くはないのは知っていましたが、ここまで使えない僧侶だとは思っていませんでした。法華経の意味、言葉の勉強、問題解釈の手順、どれをとっても新鮮でしたので、自分は「知ったかぶり」だったのかと思うくらいでした。でも、二日目に法華経の発心ができたので、仏種があってほっとしました現代は取り返しのつかない状況。世界・日本・日蓮宗、それぞれ思いました。今の時点で何ができるのかわかりませんが、法華経を通して発見したいと思います。


マンダラ法会議

 
塾生C 

法華塾のご案内をお送り頂き、正直言いますと確かに数々送られてくるお知らせに表紙だけ目を通してそのままゴミ箱生きというものが多くありました。でもなぜか、封筒の表書きに法華塾と文字を目にしたとき、決して勉強が好きといえない方なのに、吸い寄せられるように何日も何日も気にかかり、まずは住職に事後承諾の形で、半ば強制で「私、法華塾に行って来ます」と宣言して出て来ました。信行道場を出てから早五年を過ぎ、娑婆世界の泥に染まる自分をどこかで感じていました。強引に自分にプレッシャーをかけることで、自分を追い詰め、その中で一生懸命あがきながら、少しでも初心に帰り、素直になって、難しい講義に参加しようと決意しました。その中から体で会得したこの大きな喜びを大切に、お寺に帰ってから、朝勤、唱題行をもっと心で唱えていこうと決意を新たに致しました。(住職に厳しく、自分には甘くの私ですが。)



塾生E 

今回は、「自分が死んではいけない理由」を見つけたいと思い参加しました。自身でそれを納得できていないと、人に伝えることができません。今までは、「死にたい」というのは自分の意思であると思っていました。教養書・文学作品をいくつか読んでみてもあまり納得できる答えは見つかりませんでしたが、今回の講義の中にあった、「こころを支えるたましい」という一文でようやく納得できました。私の中で「こころ=本能」「たましい=理性」と解釈できました。「食べたい」「寝たい」だけでなく「生きたい」「死にたい」もまた本能なのだと思います。そういった本能の働きを理性でコントロールすることが大切なのだと感じました。





塾生G 

人にはそれぞれの持ち味があって、それをその人なりに生かしていくほかないのが人生です。話の上手な人・口下手な人、賑やかな人・静かな人と、人それぞれですが、誰にもその人なりの味わいがあり、無理することなくそのまま自然に生きればいいのだと思います。しかし、その根底に「誠実さ・真面目さ」があることが大切です。それによって、安心して付き合うことができるのだと思います。そういう意味では、今回のこの法華塾の参加者は、みなさん誠実さを内に秘めて真摯に宗門のあり方を考える人の集まりであったと思います。若い人たちには頼もしさを感じました。しかしそれにもまして熱意を感じたのは、今回の企画をされた貫首猊下始め講師の先生方でした。先生方の熱心さと魅力があって、この法華塾も継続し隆盛になってきているのだと思います。ますますこの輪を広げたいものです。そして、このような方々と出会え、寝食をともにして語り合え、仲間に加えて頂けたことが大きな収穫だったと思います。



塾生J 

やはり「人は人によって自分になれる」を再確認させて頂きました。法華塾は一人一人の熱すぎるくらい熱い情熱と愛情で成り立っている会だけあって、無駄な時は一寸もなく本当に有意義でした。何より先生方の大きな熱に私も焚き付けられて更に更に研鑽して参りたいと思います。混沌する現代社会において宗教者(日蓮宗僧侶)がいち早く教育に参入しなければいけないのに表面だけで何の効力もない有様な気がしてなりませんでした。私個人ではやる気があっても智慧がなく困窮していましたが、今後は人が人になれる、自分がさせて頂けるこの法華塾の皆様とOB会を発足させ、大きな波を作り我々が宗門はじめ現代社会への大きな一石を投じられる存在になれるように努力し更なる活性を目指していきたいと思います。ありがとうございました。


塾生L 

自分が女性教師になってもうすぐ二年が経ちます。純粋に「ひと」が好きで、これからの半生、ひとの役に立ちたいと思って道場を出ましたが、意外にも私から見える僧侶の世界は、思い上がりだったり、自己中心的だったりして、自分の理想は空想なのかも知れないと思うこともあります。その中で、こんなにも今を真剣に考え、そして危惧を抱いて、人として純粋に人と向き合っている方々に会えて、本当の同志を得た気分です。「自分=ひと、他人=ひと」その両方の幸せを考え、大勢へ世界へと幸せが広がっていくことを強くイメージして、まわりに耳を傾けることを大切にすることから始めたいと思います。



食事



塾生B 

今回参加の動機は、自分自身の信仰・僧侶としての自信が持てないことへの解決の糸口を求めてのことだった。そして、その答えを得ることができた。また、新たに宗門・現代の僧侶が抱える問題にも眼を向けることができた。今回参加された方々の話を伺っていると、それぞれ大変な人生を過ごされた方、すごい活動をされている方、そんな方ばかりだった。そして、そんな方々に理解してもらえたこと、共感してもらえたことがたまらなく嬉しい。人間としても、日蓮宗僧侶としても、もう私は一人じゃない。そんな自信を持てるようになった三日間だった。





講 義


塾生D 

今回この法華塾を受講させて頂きまして、まず驚いたのが講師の方はもちろんのこと、受講生の方に至るまで、宗教家として、また一人の人間としての意識の高さです。本当に自分などがこの場にいて良いのかというような気持ちになってしまいました。しかし、私も縁あってこの塾に参加させてもらった一人として、講師の方々の期待に応えられるよう、またこの大事な仲間とともに日々互いを高めあえる関係を持てるような人間になれるよう精進していきたいです。



境内巡拝 本門寺公園にて



塾生F 

この場に集まっている皆様が、地球に生まれ、巡り合わせて頂いた方たちなのだという思いで過ごさせて頂きました。もっともっとお声をかけたりしてお話したかったのですが、それができない自分もまた私自身だと思います。この場所にいて、色々なお話を聞かせて頂いていることの不思議を噛み締めます。先生方のお話で今まで固まっていた空間が大きく広がった気は致しますが、反面自分が今までお寺という空間で過ごした中で頂いてきたものは何であろうかとまた問い直したい気持ちです。自分のさせて頂けることを見直しながら一つ一つ進んで行きたいです。ここに集まられた皆様にはそれぞれにすばらしい方ばかりで色々お世話になりありがとうございます。








塾生H 

人間がこの世に人として誕生して、死を迎えるまでの生涯において大切なことは何か。自分がなぜお寺に生まれたのか、なぜお寺を継ぐことになったのか、無我夢中で過ごしてきた三十年近くを振り返ってみると、いかに多くの「変化の人」に救われ、支えられてきたか、法華塾に参加して初心にかえり素直な気持ちで原点に立つとそのことがよくよく見えて参りました。遠回りをして無駄なことと思えたこと。失敗、数々の苦難を乗り越えられて来たのは良き縁、すなわち仏縁に恵まれた人の繋がりの大切さに心から気づき感じています。もちろんその縁を頂くには自分自身が努力精進に励まなければならないことは、言うまでもないと思っています。ありがとうございました。







塾生I 

こんなにも、熱く一生懸命生きていらっしゃる方々と出会えてありがたく幸せです。今まで誰にも言えなかったことを語ったり、思っても見なかったことをお聞きすることができました。引っ張って下さる先生方の思いにどれ程お答えできるかどうかわかりませんが、自分の置かれた場所で励みたいです。






第三回 法華塾閉講式を終えて




塾生K 

お題目と法華経のありがたさに感動し、僧侶となったが私のような在家出身しかも高齢者にとり、宗門の現状にあって法を説く場がないと悟り、独りで「法華経」の勉強会やインターネットでの布教をしてきた。たまたま新聞で「法華塾」のことを知り参加してみて自分と志を同じくする人々の存在を知り、知己を深めることができたことは大きな喜びであった。OB会も結成され良かったと思う。大事なことは地道にこつこつと自分の背丈に合った努力を従来どおり進めることだと思う。人と人との出合い、人は人のために汗をかいてこそ人であり得ると信じている。




編集後記

平成十八年末、酒井山主の呼びかけのもと、九人の運営委員が集い法華塾が誕生しました。

平成十九年八月、趣意書と募集要項を発送。いったいどれだけの人が集まるだろうかと不安でしたが、十月の第一回では十一名、その後回を重ねるごとに塾生は増え、老若男女・僧俗一体・全国各地から集まった第一期修了生は二十名となりました。塾生も、講師も、運営委員も同じ立場で学び、発言ができる修行の場、法華塾に魅せられた面々です。

法華塾では毎回、各講義の感想や三日間受講して自己発見したことなどをアンケートに記入します。「法華塾報」第一号は、そのアンケートを中心に編集された、塾生の生の声が詰まった報告です。皆が熱く語るのは、自分の悩みではなく、文明の改革を目指す同志の情熱でした。宗門を、日本を、世界を救いたいという宗祖の誓願を実現しようとする同志たちの集まり、それが法華塾です。

まもなく第二期がスタートします。どうぞ「学びたい!」という思いだけを持ってお集まりください。

法華塾報編集委員



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