いま世界は、地球規模での危機に直面しています

この地球規模での危機とは何でしょうか。9.11以後の戦争の継続、グローバル資本主義による国際的な格差問題の激化、エネルギー危機、
地球温暖化による気候異変と頻発する災害など、私たちがいま、目にしているのは「文明の病による生類存続の危機」に他なりません。
この危機を乗り越えるためには、生命の尊厳を追求した正しい宗教意識による「文明の変革」の道しか残されていないでしょう。


「法華塾」は新たな文明への覚醒のために設立されました。

いのちを育む地球と生き物の危機を目の前にして、私たちは広く諸団体や諸宗教と共に共同して事態に当たる必要があります。
しかし、目覚めた意識のもの同士による協調でなければ、新たな文明へと向かうことはできません。私たちは、仏教―それも
日蓮聖人の教えこそが人類覚醒の核を担いうるものと確信して法華塾を設立しました。法華塾とは、真の仏道を求めて釈迦仏
・法華経を仰ぎ、日蓮聖人を師として集うものたちが語り合い論じ合い学び合う「共育の場」なのです。

「学びたい!」という思いだけをお持ち下さい

年齢・性別・経験は問いません。学びへの意欲からすべてが始まります。学び合いたいという思いだけをお持ち下さい。きっと
あなたの心身が覚醒していく始まりとなるでしょう。 皆様のご参加をお待ちしております。


第2期第3回法華塾閉講式を終えて

第2期の総合テーマ:「やる気 → 自己改革」

●第 1回 「《いま》を学ぶ」 《いま》何ができるのか。現代は仏教に何を求めるのか。

●第2回 「《ここ》を学ぶ」 《ここ》で何をするべきか。日本における仏教の役割とは何か。

●第3回 「《ひと》を学ぶ」 《ひと》とどう関わるか。誰のために仏教があるのか。

法華塾第二期 基本カリキュラム

第一日 第二日 第三日


10:00

11:00


午 後

夕 方


21:00
  集合・受付

開講式・オリエンテーション
  講義@  A
   お目覚めタイム
   唱題行@

  フリートーク@
   消燈
5:00


午 前


午 後

夕 方


21:00
起床・朝勤
  つづり方教室@
  講義B

   お目覚めタイム

   唱題行A
  フリートークA
   消燈


5:00



午 前


午 後
15:00


16:00
起床・朝勤

  お目覚めタイム
 つづり方教室A
 法華塾に参加して(感想発表)
閉講式
  解散


法華塾第2期は、「やる気 → 自己改革」を総合テーマに、《いま》《ここ》《ひと》

を切り口に9名の運営委員が、毎回1コマの講義を受け持った。

お目覚めタイムでは、全3回を通じて、「いま、求められる立正安国とは?」という

ひとつのテーマで、問題提起から問題解決への一連の流れを体験した。




講義内容 講師
第一回〜第三回オリエンテーションまとめ「法依人」  法華塾代表 田端義宏師

第一回『清澄寺大衆中』『寺泊御書』
第二回『顕仏未来記』『開目抄』
第三回『崇峻天皇御書』『波木井殿御報』

講師 濱島典彦師
第一回「いのちの不思議に気づく―私の立正安国―」
第二回「少欲知足―浄土のありかを問う―」
第三回「こころといのちの神秘をさぐる」
講師 野坂法行師

第一回『立正安国論』を読む
第二回教学とは何か
第三回常不軽菩薩について

講師 澁澤光紀師

一回「出家の妻帯」
第二回「各宗派における寺庭婦人の現状と問題点」
第三回「これからの寺族・寺庭婦人はどうあるべきか」

講師 伊藤美妙師
第一回「自分の弔辞を書いてみよう」
第二回「その弔辞を読みあってみよう」
第三回「子守唄を歌ってみよう」
講師 早崎淳晃師

第一回「池上未来塾」
第二回「ここ池上にて」
第三回「お坊さんとの往復書簡」

講師 吉田尚英師

信仰について

講師 丸山照雄師
境内散策 引率 吉田尚英師
唱題行@ 唱題行A 法華塾代表 田端義宏師

お目覚めタイム   いま求められる「立正安国」とは?
第一回問題提起パルス討議
第二回多段ピックアップグルーピング
第三回図解化図解鑑賞

講師 桐谷征一師
法華塾に参加して 塾生 感想発表
第二期を終えて 法華塾代表 田端義宏師
編集後記 法華塾報編集委員




第一回〜第三回オリエンテーション・まとめ 塾生の感想

「法依人」
法華塾代表 田端義宏師

日蓮聖人は「依法不依人」を拠り所に、法華経を所依の経典とされた。しかし、その法を伝えるのは人の力であり、その意味では「法依人」といえる。長年宗門の伝道部長を勤めて感じたことは、法を伝えるという意識と意欲をもって活動する教師の少ないことであった。

教師とはお金を稼ぐための稼業でも、お寺に生まれたからしょうがなく親の跡を継ぐという家業でもないはず。教師とは法を伝える「法師」なのだ。宗門を滅ぼすのは外部の敵ではない。それは宗門内部の「発心」なき教師であり、「法師」としての自覚と「やる気」のない教師ではないだろうか。

第一回

「発心」という言葉にドキッとさせられました。法華塾は窓であるとのこと。そのとおり、私にとって大切な窓であり、次の行動の基となるものです。地涌の菩薩の意味をあらためて認識し、一歩でも近づくべく努力します。現状でできることを着実に実行していきます。


第二回

知・情・意を通して、法華塾の存在意義、そして自分がどう在ればよいのかを考えさせられたオリエンテーションでした。塾の始まりとしてふさわしい身の引き締まる言葉でした。何のために自分は衣を着ているのか?この言葉を忘れずに行動していきたいと思います。

第三回

オリエンテーションにおいては、改めて自分が法華塾に望むに当たっての心構え、また僧侶として何を目指していくかということを再認識させて頂きました。また人とのコミュニケーションの大切さ、それについて努力をしていかなければならないということを聞きました。日頃自分にはそういった能力が欠如していると感じていましたので、大切な出会いを無駄にせぬようしっかりと意識していきたいです。




講師 濱島典彦師 塾生の感想

第一回『清澄寺大衆中』『寺泊御書』

第二回『顕仏未来記』『開目抄』

第三回『崇峻天皇御書』『波木井殿御報』

五回にわたり日蓮聖人の御遺文を共に読んできました。数多くの御遺文のなかから今回私が選んだものは、日蓮聖人にとって、ご生涯のターニングポイントに当たるものでありました。

声を出して御遺文を幾度も読むうち、あるいはある年齢にきた時、じっくりと読み直したりしますと、ふと『日蓮聖人はこういうことがいいたかったのか』と妙に納得することがあります。その時は実に嬉しいものです。日蓮聖人が眼前に在(ましま) し、御心に触れられたという実感を得るのです。それを法華塾で共に体感しましょう。

第一回

「御遺文にふれる」と題して、濱島師は「二十才には二十才の、三十才には三十才の、四十才には四十才の読み方があると仰られました。同じ御遺文を読むことでも、その人がいつ、どんな思いで、どのように読むかで、読み取り方、感じ方が違うのだと教えられました。日蓮聖人の言葉を自分の人生の中でどう受け取っていき、どう生かすか、これからの課題にして行きます。


第二回

「御遺文を拝読する中で、先生の「この箇所に来ると感動を禁じ得ない」というお話があり、そこから御遺文を拝読する際の基本的な姿勢について気づかされました。これまで御遺文の表面的な意味のみを理解して良しとしてきましたが、宗祖の置かれた状況などを深く考慮すると言葉の重みが違ってくることがわかりました。

・意味がわからなくても何度も読むうちにわかってくると講義の中でおっしゃっているのを聞いて、一度読んでわからない、自分には難しいとあきらめていたのが恥ずかしくなりました。


第三回

「『崇峻天皇御書』を通じ、日蓮聖人が教義や信仰だけでなく、日頃の生活や生き方まで説いておられることに、温かみと繊細さを感じました。御遺文を読むときはわからない字や意味に固執せず、まず全体を書かれた状況をふまえながら読んでいこうと思いました。

講師 野坂法行師 塾生の感想

第一回「いのちの不思議に気づく―私の立正安国―」
この世が妙法=正法に裏打ちされている不思議に気づくことが立正。それが安国につながり、「今」を前向きに生きるやる気を生む。

第二回「少欲知足―浄土のありかを問う―」
「いのち」の営みとそれを支える地球環境は神秘的奇跡的、正に「ここ」は浄土の真っ只中。この浄土を壊すのは人間の欲と真理を承知しない愚かさ。だがこれを守り、立て直すのも人間。

第三回「こころといのちの神秘をさぐる」
仏教の行法はすべて小賢しいこの「私」の知恵(表層意識)をそぎ落とし阿摩羅識(心の奥底にある仏心)を発動させる手立て。そうすれば日蓮聖人と同じ気持ちになれるはず。

第一回

「私の立正安国論」と題して、日蓮聖人の意志を受け継いでいく自覚、また仏子(仏使)としての自覚を持ち、今の世の中にどのように教えを広め、生きていくのかを野坂師は問われ、その問いに対して、自分の個性に合った布教法を探し、実践することが大切なのだと教えて頂きました。


第二回 

欲を求めすぎると身を滅ぼす、確かにそれはとてもよく分かります。でも少しくらいは行動のエネルギーとして持っていても良いのかなと思います。ある程度、折り合いをつけられればいいんでしょうか?無欲ではなく、少欲というところがポイントなのかと思いました。

第三回

お釈迦様は、実に優れたカウンセラーだったという言葉を聞き、以前大学で「お釈迦様の仏教は気づかせる仏教」という話を聞いたことを思い出しました。

・お釈迦様も日蓮聖人も実に巧みで優れたカウンセラーだったという表現に興味がわいた。確かにご遺文でも宛てた相手を気遣い生き方や生活に至るまで述べておられる。また鎌倉期の開祖はもちろんアインシュタイン等も「ありとあらゆる者の中に偏在し、全てのものを生かし続ける根源の力」といったものの存在を示していることに驚かされた。

講師 澁澤光紀師 塾生の感想

第一回『立正安国論』を読む
第二回教学とは何か
第三回常不軽菩薩について


発心に依るにしろ世襲にしろ、男性であれ女性であれ、日蓮宗僧侶となった者はみな「日蓮聖人の御弟子」です。しかし「僧侶」にはなっても「日蓮聖人の御弟子になる」ということは簡単なことではないでしょう。なによりも「日蓮聖人とはどのような方なのか」「その教えが何なのか」が分かっていなければ、弟子とはいえません。この「日蓮聖人とその教え」という、初心であり究極である問いに答えていく場が、私にとっての法華塾です。これまで摂折論・常不軽菩薩論・霊断教学批判などを取り上げました。今後も現代的視点からの問いを共有していきましょう。

第一回

『立正安国論』をいかに読むか」(東京都西部教化センター主催)で持論を展開された諸先生方の『立正安国論』に対する考えや解釈を教えて頂き、客観的に「読む」と現代にあてはめることができるのか、主観的に「読む」と勝手な解釈で聖人の教えを間違って伝えることにならないか、という大きな矛盾をどのように乗り越えていくのか考えさせられました。

第二回 

今回のテーマである「ここを学ぶ」の「ここ」を師は日蓮宗として、二つの教学を対比しながら、教学とは何かを解説して頂きました。二つの教学の歴史、代表的人物や流れの話は分かりやすく、個人的に気になっていたことが少し理解できたと嬉しく思います。

第三回

法華経の漢・梵・和訳の差や、御遺文の真偽など、教学的基礎が至らない為、ご講義のほとんどが消化できなかった事が残念で、もっと勉強しなくてはと思った。ただ、日頃宗門運動を身近で感じる中で、メインフレーズの「但行礼拝」という言葉に漠然とイメージしていた常不軽菩薩に、又知らない角度からスポットライトを当てて頂いたように思う。これを機に及ばずながら、私自身も主体的に常不軽菩薩の主体について考え、宗門運動の目指す常不軽菩薩の行について理解を深めたい。。


講師 伊藤美妙師 塾生の感想


第一回「出家の妻帯」           
第二回「各宗派における寺庭婦人の現状と問題点」
第三回「これからの寺族・寺庭婦人はどうあるべきか」

日蓮宗を含む出家仏教教団に於ける「出家の妻帯」という矛盾したテーマでお話させて頂きました。真宗以外の伝統教団の多くは、明治五年太政官布告の「肉食妻帯勝手足るべし」により、公然と妻帯する僧侶が増え、現在ではほとんどの僧侶が妻帯しているにも拘わらず「虚偽の出家主義」を続けてきました。そのため明治以来今日まで寺庭婦人、寺族は本来居るはずのない存在であるがゆえに曖昧な位置づけがされ、不安定な立場に置かれてきたと思います。これからの寺院は住職と寺庭婦人が共同経営者の立場に立って協力し、そのことをお互いに明確に確認し合うことが大事であると考えます。
第一回

今現在、宗門の寺庭婦人についての問題を御自身の経験から伝えて頂きました。一番身近な存在である寺庭婦人という立場のあやうさに自分がいかに無関心だったかを思い知らされました。身の回りからでも、少しでも今の状態が変わるよう行動していければと思います。

第二回

宗門の中だけではなく、他宗での女性がどういった存在として扱われているかについて知りました。日常から身近な存在ながらも、その立場すらしっかりと守られていない寺庭婦人というものを、男性教師の立場からも考え直さなければと思います。

・寺庭婦人に研修の場がないと言われますが、本気で学びたいのであれば、もっと大きな声をあげるべきだと思います。その必要性に気づいていない人が多いことが問題ではないでしょうか。

第三回 

私は今まで、寺庭婦人の方々の悩みや問題について考えた事はありませんでした。近所のお寺の奥様方は、茶道や琴、華道などをされ、セレブなイメージを持っていたので自分とは異なる人種と思っていました。今回寺庭婦人が抱える悩みや問題を知り、セレブな奥様というよりも女性として悩み、苦しんでいることがわかり見方が変わりました。

講師 早崎淳晃師 塾生の感想

第一回「自分の弔辞を書いてみよう」
第二回「その弔辞を読みあってみよう」
第三回「子守唄を歌ってみよう」

「いま」「ここ」「ひと」を学ぶという三回のテーマの中で、実体験を通して感じること、考えることをねらいとした。

弔辞を書きながら、生き様を振り返り、自分を奮い立たせるものは何か?自分を大切と思える心を語っているか?(自尊感情)それ無くして人を大切にする心は育たない。(現代社会の悲劇)ということを伝えたかった。又、祈りは、「子守唄」を歌いはじめた時代から、はじまったのではないかと思える要素が、たくさんある。

子守唄を歌わなくなる社会から、祈りが消滅していく危険性を感じ、警鐘を鳴らしたい。

私達は、社会の現状を嘆く前に、「いま」一度自分と対話し、「ここ」にいる自分=「ひと」に語りかけることから始めるべきではないだろうか

第一回 

ルンビニー幼稚園に行けば、頭ぐりぐりしてもらえる!!行きたかったな〜と思いました。私の子供を先生のような方がいらっしゃる幼稚園に行かせたいと思いました。本来は私たち僧侶が地域の中で先生のような活動ができれば、とも思いました。

・「自分への弔辞」を書くという機会を頂きました。普段、自分を客観視するということを行っていたつもりですが、具体的に自分の師匠から見た自分を考えることは実に新鮮でた。


第二回

「おろおろする母親のほうがむしろ安心」、「ものわかりの良い母親のほうが危ない」とか、「家では良い子、保育園では奔放」な問題児の話はなるほどと思いました。豊富なキャリアから形作られたと思われる幼児教育に関する考え方・理論も素晴らしいと思います。

・弔辞を自分宛てに書き、他人が読むことで、違った視点から自分を客観視できるこの手法は素晴らしいと思います。


第三回

「自分の地図」作りは本当に楽しい講義でした。この方法を取り入れれば、質問力も対話力もコメント

力も確かにつくと思います。私も人見知りする方なので、この方法を取り入れられればと思いました。



講師 吉田尚英師 塾生の感想

第一回「池上未来塾」
第二回「ここ池上にて」
第三回「お坊さんとの往復書簡」

法華塾で学んだこと、感じたことを現場でどのように実践するか。その事例として、自分の活動を紹介させて頂きました。

自坊で行っている江戸時代大名家墓所の調査、弥生時代・古墳時代の発掘を通して学んだ先人の思いを〈いま〉この時代に、〈ここ〉池上の地で受け止め、〈ひと〉として未来に伝え、その感動を皆さんに知っていただこうとお話しました。また、〈いま〉〈ここ〉日本で、自殺をしたいほど苦しんでいる〈ひと〉の力になりたいと活動している「自殺対策に取り組む僧侶の会」の紹介をさせて頂きました。

第一回

地域活動の中から発展的に「池上未来塾」構想が出てきたことは大切だと思います。吉田師の多方面の行動実践の成果に敬意を表します。学ぶ所が多くありました。多宝塔改修見学―貴重な経験ができました。

第二回

御遺文を読むときやそれを説明するときなどは書かれた場やその時の状況を考えながら行うというのは勉強になりました。また、池上の地図、モノを使って説明されて、とてもわかりやすかったです。

第三回

今回、「自殺」という重いテーマで、最初はどう返事を書いたら良いか、とても悩みました。実を言うと私は長い間いじめにあい、正直死んでしまいたいと思うこともありましたが、家族が根気よく私を励まし、味方でいてくれたので辛い時期を乗り越えられました。「自殺」は、いじめに限らず人によって原因は様々で、手を差し伸べるにしても簡単には解決できない問題もあるので対応がとても難しいと思います。帰ったらじっくり資料に目を通したいと思います。

・講義の後に実際に自死念慮者に手紙を書いてみて大きなショックを味わいました。実際に書く際、何を書き、何を書いてはいけないか、考えると筆が進まず、僧侶として何ができるのか、考えさせられました。

講師 丸山照雄師 塾生の感想

信仰について

第二期第三回法華塾の三日目、つまり終わりに臨んで私がお話しした事は、一番評判の悪い内容であったようです。つまり皆さんの関心が薄く、かつ聞いていてもよくわからない、そういう事のようでした。仏教では「信心」という場合もあるし、「信仰」という場合があります。「信」の問題です。日本人は宗教というものは押しなべて「信仰」があるもので、それは「自明の事柄」(語る以前のあたりまえのもの)として受け容れられてきました。日本語としては「信じて疑わない」ということであった、「鰯の頭も信心から」という場合の「信」もそれぞれの宗教の「信心」「信仰」も同じ意味のものだと「思い込んでいる」のが現実です。

従ってキリスト教の「信仰」も、仏教でいうところの「信心」も、本質的には同一のものではないか、と納得しているのが、圧倒的多数の日本人の意識です。念仏も題目も信じて疑わないという点では同じことだという思い込みです。

「心のあり様」「精神の状態」において同じであるという日本人の意識は、そのままで良いのか、改めて問うべきでしょう。少なくともキリスト教との「信」の区別を明確にしておくべきだと私は考えてきたのです。

その点について直言できなくて周辺をうろうろと語ったことも不評だと思うのですが、同時に「問題意識」として皆さんが自覚していないという問題もありそうです。

教学(教義学)の究極のテーマは信心の内容、信仰の精神的在り様を明らかにし、それを解き明かすことでしょう。少なくとも言葉の解釈ではないのです。

日蓮聖人の仏法は、「信ずる人に」のみのものでなく、「信心とかかわりない人々」に対しても、明晰な理解、認識を求めるものだと私は考えています。その任をはたすために、私たちの教学への問題意識と修学が必要なのです。

第一回「日蓮認識への新たなる道(1)」
今、何気なく暮らしているこの現代社会。その社会で何が起こっているのか、と知ることの大切さを知りました。今、この世界は様々な問題を抱えていることを知り、その問題に対する危機感をしっかりともち、教師としてできることから始めていかなければならない、と感じました。


「法華塾に立つ意義〈いまを学ぶ〉」

・「今」ということを考えることの大切さ、そして難しさを教えて頂きました。日蓮聖人が「日本人」という概念を自覚した、初の日本人であるという言葉は自分は全く感じたこともなかったので驚かされました。今の一般の日本人と同じように私も日本人としての自覚が全く足りていないのではないかと思います。もう一度、日本の歴史や文化というものを認識していきたいです。

・危機感を深く心に留めること。人間としての倫理観がどんどん失われていく中で、これではいけないと思った。流されて時間を費やして行っている自分に「カツ」を入れる!サビをそぎ落とし、女性教師になったばかりのピュアな気持ちを呼び覚まし、では今自分は何をすべきなのか、いのちの大切さ、仏子という自覚を心にしっかり刻み前向きに頑張るという気持ちを授けて頂きました。意義のある大切な時間を下さいました。法華塾の素晴らしさが多くの僧侶に分かってもらえるのも時間の問題だと思います。そうでなかったら、日蓮宗の存続は絶望的です。

第二回 「日蓮認識への新たなる道(2)」

・「本当の所をぶっつけ合わなくては何も進まない」「仏教の弱さはお坊さん同士本音をぶっつけ合わない所にある」と、常々思っていたものですから、『福神(宮澤賢治特集号)』に関する、丸山先生、渋澤先生の本気の議論を見て、法華塾の信じるに足るところが見えたような気がしました。

「法華塾に立つ意義〈ここを学ぶ〉」

・専門家にならなければならないという先生の言葉を聞き、何もそんなふうに持っていない自分が恥ずかしくなりました。自信をもって宗教活動を行えるよう武器と呼べるようなものを持てるようになりたいです。

第三回「日蓮認識への新たなる道(3)」

上原専禄という「ひと」を入り口として、日蓮聖人が十三世紀という時代に、いかにリアリティのある世界観に立ち、自己の問題、責任と受けとめ、主体を持って誓願をされていたのかを知った。日蓮聖人も上原専禄も、リアリティと実践性をともなう世界認識を主体とした、行学一体の「ひと」であったのだ。自分自身の仕事の価値にきちんと優先順位を立てて行動する事が主体を確立するというお話に、果たして私自身の行動は正しい優先順位をともなった主体的なものであるのか、考えさせられた。

「法華塾に立つ意義〈ひとを学ぶ〉」

先生が最後に仰られた他の日蓮系の問題を背負って行くことが、外から見た現状への答えだというお話を聞きました。それほどの覚悟をもてるような、また覚悟を持つに値するような教師となれればと思います。

吉田尚英師 塾生の感想

境内散策

池上本門寺は、日蓮聖人御入滅の聖地として、その法灯を受継いできた信仰の歴史があります。さらに、古代の遺跡があり、自然の宝庫でもあります。

講義や討論で三日間建物にこもりがちな塾生の息抜きもかねて、今この時にしか拝観できない池上本門寺境内の場所を参拝しました。

第一回は日蓮聖人五五〇遠忌の際に建立され、現在改修工事中の「宝塔」の現場を見学、第二回は弥生時代住居跡と古墳の発掘現場を見学、第三回は霊宝殿にて日蓮聖人御真筆の御本尊と御消息を間近に拝しました。

毎回、時を超えて伝わってくる先人の信仰の偉大さに感激を覚えました。

御真筆拝観

古墳発掘現場

宝塔改修工事現場





・解体中の池上本門寺の宝塔を間近で見て触れるという、一生に一度の機会を与えて頂いて本当に勉強になりました。荼毘所の土とそこに埋まった遺物に、日蓮聖人からつながる今を感じました。
前回の散策で拝見させて頂いた古墳発掘現場を再び見学させて頂き、前回よりもはるかに進んでいた現場に驚かされました。現場に落ちていた欠片が二千年前の土器の破片だと知り、感慨深い思いがしました。





・初めてご真筆と境界のない同じ空間に間近で相対して、お祖師様に時空を超えて触れているような思いがして、大変感動を覚えた。御真筆の持つ圧倒的なエネルギーを感じられる貴重な機会を与えて頂いたことに心から感謝致します。ありがとうございました。






・今回の境内散策は運が良かったと思います。霊宝殿で御真筆を間近で拝見したときに日蓮聖人が「法華塾をもっと頑張るように。」と仰られた気がしました。また、数少ない日朗聖人や、日輪聖人の御真筆は、一生のうち次に機会があるかないかわからないので、じっくり拝見しました。特に日輪聖人のはっきりとした文字に圧倒されました。



唱題行

 




前回の塾報第一号、唱題行のページの中に、「法悦」という言葉がありました。広辞苑では、「仏法を聴き、または味わって起こる、この上ない喜び、法の喜び、恍惚とするような歓喜の状態、エクスタシー」とあります。自らお題目を唱え、お互いのお題目を

聴くことによって仏法を味わい、心と体が喜ぶ不思議な感覚、それが「法悦」ではないかと思います。夜のフリー

トーク中には、「唱題行中に涙が・・・」

「ホームスティに来た海外の友達と唱題行をしたら泣いていた」という感想があり、印象的で羨ましく感じました。残念ながら、誰でもすぐに感じられるものではないようです。違いは読んだお経の量でしょうか?生き方でしょうか?いつか法悦に出会えるような生活をしていこうと思います。 (高作記)

唱題行


    唱題行の行じ方

一、 礼拝(本尊拝)

二、 浄心行(身心を調和する最善の行法または健康法)

三、 正唱行(仏力、法力、信力、感応の信心行)

四、 深信行(黙座瞑目して妙益を念ずる)

五、 祈願行(平和幸福の祈りと霊界への回向)

六、 誓願行

 礼拝

感想

・本格的な唱題行は、初めての経験でした。不思議と正座も辛くはありませんでした。何か暖かい空気に包まれたような不思議な空間でした。唱題行は辛いものではなく、ゆったりした気持ちで行うもの、という御言葉が印象的でした。

・第一回、第二回とそして今回、全六回の唱題行を行い、その一回一回が全て違った心で臨み、全く違う気持ちになることに改めて唱題行というものの奥の深さを感じた。田端師がおっしゃられた「色々な唱題行がある」「お題目につかるように」などの言葉や精神を忘れずに、これからも実践していきたいと思う。

・呼吸法、唱題行全体の流れ等、いつも学ばせて頂いています。

・唱題行をきちんと行ったのは今日初めてで、正直正座が辛かったです。けれど、ひたすらお題目を唱えているうちに、自然と呼吸が楽になり、心が軽くなるような気がしました。また、本殿はとても広く静かで、お題目の声が反響し、不思議な空間にいるような気持ちになりました。

・すべてのいのちとひとつになったと感じられるまではまだまだ修行が必要だと思いました。

・いつもながら御題目を唱えることによって、ものすごく自分の心が洗われたような気持ちになりました。自分でも唱題行を通じて心をすっきりと出来るような僧侶になりたいです。


お目覚めタイム


お目覚めタイム

講師 桐谷征一師
いま求められる「立正安国」とは?

第一回問題提起パルス討議
第二回多段ピックアップグルーピング
第三回図解化図解鑑賞

法華塾には、オリジナルなカリキュラムとして〈お目覚めタイム〉という時間が設けられています。そこでは毎回、一つの時宜のテーマを設けて(問題提起)、参加者が全員で意見を出し合い(データの蒐集)、議論を深め内容を整理し(データの集約)、問題解決に向かって行動方針まで見極めよう(目標設定)という作業プロセスを実修しています。名付けて「マンダラ法会議」といいます。

マンダラ法会議は、参加し、実際に体験してみてはじめてわかる道といえましょう。自分が取り組んだテーマが、最初は混沌としてまったく考えがまとまらない状態であっても、作業が進むにつれ、ごく自然に整頓された状態に導かれます。また一つのテーマの問題解決に複数の人が参加するとすれば(法華塾ではこの状態ですが)、そこには参加者全員が知恵を出し合い、お互いが理解し合った結果として、固いチームワークが生まれます。それは、人間本来の生き方、すなわち仏教=法華経がめざす、人類の平和な共生への道を確信させるものでもあります。

さて、第二期のマンダラ法会議では、全三回を通じて「いま、求められる立正安国とは?」という一つのテーマに挑戦しました。いうまでもなくこれは、現在日蓮宗が挙げて取り組んでいる宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」を、自分自身の課題として考えようという意識から出てきたものです。

では、法華塾におけるテーマへの挑戦はどのように展開したでしょうか。ここでは、その具体的な作業の内容を充分に説明はできませんが、おおよそ、

ワイワイガヤガヤ

次のような手順で進みました。

マンダラ法会議では、まず最初に、参加者がテーマについての背景を共有した後、一切の固定観念や立場を排除した三百六十度の方向から、自由な発想で、ワイワイガヤガヤと議論を重ねながら意見を出し合います(パルス討論)。三人よれば文殊の知恵。これはゲーム感覚で楽しく行いつつ効果的に衆知を集める方法ですが、実はこの段階で、いかに良質の意見(すなわちデータ)が多く集まるかが、会議の死命を制するのです。今回のテーマでは、二時間ほどの議論で約一八〇項目という多くのデータ(意見)が集まりました。

次に、研修にはどうしても時間的制約があるため、その後の作業は全員の投票により良質なデータ六〇項目にしぼり込んで行い(多段ピックアップ)、さらに、内容の確認・吟味・整理・集約へと進みました(グループ編成)。

最終的にマンダラ法会議では、議論の内容と経過が一目で構造的に把握されるように、図解として表現されます(図解化)。今回のテーマは、次のような七つの島(意見の大きなグループ)を構造としてもっていることが明らかになりました。ここまでくれば、具体的に行動の戦略をたてることもできます。参加者全員の投票により、どこの島がより重要と考えるかの順序を見定めたところで(衆目評価)、今回のマンダラ法会議はひとまずお開きとなりました。(以下の順番は、重要度評価の投票による高得点から)


どれがいいかな?

(1)我々自身が僧侶としての使命感をもち、逆境に負けず、社会一人一人の心に訴えてゆこう。

(2)大上段に理念をふりかざすのではなく、情操教育を大切にした家庭環境(自然、社会も)を考える中で、未来を見つめた「立正安国」運動を進めてゆくべきではないか。

(3)宗教・国・人種・文化・風俗等の壁を越えて、人々が連携できる「法華経」の価値観を伝えたい。

(4)「立正安国」の実現には、国民一人一人の行動が世界のあらゆる枠を超えて繋がっていることを認識するところから始まる。

(5)社会批判・歴史批判を特質としてもつ『立正安国論』を、現代に則した形で提示する力と心が今の日蓮宗にあるだろうか?


(6)人間の価値観を根本的に変え、同時に社会のあり方を変えることが、「立正安国」の実現に繋がる。
(7)思いやりをもって人と触れ合うことによって、「立正」という概念を一般の人にわかるように示すことが「安国」に繋がるのではないか。


 完成 !!

感想





第一回



乱雑な情報を整理する上で、どのような場面においても、この方法は活用できると思いました。職場でも意見がまとまらないことが多々ありますが、ぜひ活用していきたいです。

・最初に強烈なインパクト(全く知らなかった分野でしたから)を受け、私みたいな知識のない者がついて行けるのかなと不安に思っておりましたが、その気持ちも少しずつほどけて仏性が出てきたように思います。授業を受けていて楽しい、良い刺激を頂いている、と感じました。まだまだ勉強不足ですがこれを自分のものとして活かしていきたいです。本当に感謝の念で一杯です。


・各自の心の中、気持ちや考え方、個性が、発表された一枚一枚のラベルに表れていて、素直で努力しながら前に進もうとしている人たちがここに集っていることがよく分かりました。自分も前に進んでいかなくては、という刺激を受けました。

第二回



前半はギリシャ訪問によって師が思い、感じたことや歴史、神話などギリシャ〜ガンダーラ〜インド(仏教美術)の関係性について解説頂きました。ギリシャ文化と仏教文化の混合美術について、とても興味深く感じました。四聖諦(苦・集・滅・道)の概念を用いた基本的問題解決の流れは、ぜひ日常の問題についても当てはめてみたくなりました。


・第二期第一回で行われたKJ法の続きとして、前回のラベルを選別し、まとめる作業を行いました。約一五〇枚のラベルを六〇枚にまとめ、グループ分けをしていく作業により、意見の凝縮、洗練されていく感覚が芽生えていき、頭の中でみるみる整理されて快感すら覚えました。




第三回



KJ法は聞くのも初めてでしたが、こういうやり方があるんだと気づかされました。ラベルを整理していくことは考え過ぎてもかえって難しくなり、全体のバランスをとることに苦労しましたが、でき上がった表をみると、「いま、求められる『立正安国』とは」のテーマに沿って、一目瞭然にわかるようになり、少し感動しました。今後、難しい議題にあたったときには、KJ法を活用していこうと思いました。またそのためにKJ法について自分なりの練習をしようと思います。大企業も取り入れているということも納得できます。





塾生の感想


開 講 式

第一回《いま》について学んだこと

・「今」現代で起こっている様々な天地異について、日本が、仏教が、して日蓮宗ができることを、小さことからこつこつやること。これそが「立正安国」でいう処の国をくすることにつながるのだと学びした。「気づき」から実際に行動をこすことの重要性を身を以て認識体験できました



・「今」を知るということの大切さ、そして難しさを感じました。宗教はもちろんのこと、政治、経済、社会などあらゆることに目を向け、「今」おかれている危機を知らなければと思います。法華塾は講師の方ばかりでなく参加者の方も様々な知識を持っていて、とても刺激されることが多く、見習わなければと思います。本当にたくさん勉強することがあると思いますし、やらなければならないことも多いと思います。田端先生のおっしゃられたとおり、小事からでも自分のできることを見つけてやっていきたいです。



フリートーク

第二回《ここ》について学んだこと

・日蓮宗は私にとって最も近しい存在であるがゆえに、いろいろな問題もまたたくさん見えてきます。その一つが、狭量とも思える排他性の問題です。私はどの宗派もそれぞれに長所も短所も併せ持っていると思っています。従って、他を排撃するのではなく、良いところを参考にして相補って仏教の向上を目指すべきと考えます。経典についても、私が今までに聞いてきた範囲では、法華経以外の経典は読むべきではないとのことでした。そう考えている人は今でもたくさんいるはずです。そういう点から見ると、今回は、経典に関して法華経オンリイではなく、他の経典も読み参考にしてよいという話を聞けたのは大きな成果でした。

・法華塾と知り合えたことで、自分の中で色々なことが変わりました。気分が落ち込んでも「諸行無常」と考えて、その気分を脱することができるようになりました。でも逆に楽しいときも「諸行無常・・・」と考えてしまうようになりました。また新しい段階に進む時機のようです。これからもよろしくお願いします。




食事準備



第三回《ひと》について学んだこと

今回は法華塾に初めて参加させて頂きました。初めは講義と言っても学校の講義の延長かなと思っていました。また、道場などと同じく規律も厳しいものだと思っていました。しかしこの法華塾の雰囲気はいろいろなことを得る上で、集中力が保てる、また自分なりに自信の持てる環境にあります。唱題行やフリートークも私は好きな時間でありました。中身のつまった講義を通してはもちろんですが、唱題行やフリートークからも「ひと」について学んだような気がしました。講師の先生方とも気軽に話すことができる環境は、学校にはないものです。講義の時間にほかの先生方も一緒に聴講され、質問するスタイルも非常に良いと思います。



自己紹介




・今回だけではなく、前回、前々回も含めて、この法華塾で様々な「人」と出会い、たくさん学ぶことができて、自分にとっての大切な宝になりました。「人」と接することは、僧侶として接する前に人間としていかに接するのかが、まず重要であり、相手とよい縁を築けるかは、まずは自分自身を知り、学ぶことが大事であると感じました。








         法華塾代表 田端義宏師



「仏教は宗教ではない。教育だ」る人間の救済を説いたもの」とと述べたキリスト教神学者がいる。宗教とは「超越的絶対者(神)による人間の救済を説いたもの」と定義するキリスト教から見ると、「人が仏になる教え」である仏教は、宗教ではなく教育ということになろう。

「人が仏になる」、いや「人は本来みな仏である」と説かれた経典が法華経である。釈尊は私たちの「仏知見」を「開・示・悟・入」することを「一大事の因縁」として、この娑婆世界に「出現」された。「如来の十号」という釈尊の徳を表す十の呼称の中の「天人師」とは、良き教師としての釈尊を、いや仏教の持つ教育的面を示したものである。

「自らのほとけ」を求める私たちの意志的求道的面と、その私を開・示・悟・入せしめようという仏の教育的側面こそ、仏教が一神教と大きく違う点であろう。

第一期法華塾では、塾生の「気づき」〈自己発見〉をテーマに四回の講座を開催。それを踏まえて第二期では、「九名」の運営委員が自ら講師となり、それぞれの信仰・考え・生き方を熱く語ってもらった。法華塾が単なる「知育」の場ではなく、塾生の「やる気」を喚起する「共育」の場であるとの考えからである。

この塾から「やる気」を持った塾生が飛び立つことを願っている。




編集後記


法華塾は二年の間に、計七回(第一期四回・第二期三回)開催されました。塾生の延人数は九十四名、そのうちの二十二名は複数回参加です。二泊三日、僧侶や寺庭婦人は寺を空け、一般参加者は仕事を休み、三万五千円を支払ってまで、参加したくなる

法華塾の魅力とは何か。この「塾報」の塾生の声から読み取ってください。

外部講師の専門的な講義・運営委員が語る熱い思い・塾生同士の深い議論・法華経を信仰する喜び、さらに文字にできないたくさんの魅力は行間から読み取っていただくほかはありません。

第一期では、塾生それぞれが、何をするべきかに「気づき」、第二期では、何かをやろうと「やる気」になりました。間もなくスタートする第三期では「本気」で動きます。どうぞ「学びたい!」という思いだけを持ってお集まり下さい。


法華塾報編集委員





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